今日の窓

電車に乗っていた。風景に気をとられた。

とある電車の窓は一枚ガラスだった。通常の電車の窓は2つに分割され上から開けるようになっていたり、もっと古いのでは4つに分割され上下からあけることができる。当然1枚ガラスのため窓はあけることはできない。昔ならば夏場に車内が暑くなり、窓を開ける必要性があった。このご時世、クーラー社会となってはそんな機能はなんの意味もなさない。むしろ開けると暑くなるから非難轟々である。昔では貴族しか乗ることが出来なかったと思われる一枚ガラス車両が誕生した。

僕がいいたいのは、暑いだの寒いだのそんな話ではない。僕がその窓から見た風景は紛れもなく美しかった。普段は電車に乗っていてもハッとすることは滅多にないのに。
余分なバーも仕切りもなく、風景が広い視界で見渡せた。ワイド画面でテレビを見ているような、でかいスクリーンでテレビを見ているような、そんな感覚である。
車内と車外の距離が一気に縮まったような気がした。街の中をよりリアルに駆け抜けた。

窓は画面になりうる。窓は額縁になりうるとするならば、家の窓ガラスに車窓からの映像を投影したら部屋の中は車内へと変化する。宇宙の映像を流せばロケットに、海の中を流せば潜水艦に、100万ドルの夜景を流せば超ビップな気分になれる。

僕は本を読むのをやめ、食いつくように車窓からの風景をながめていた。