読む必要なし

新学期になってから早一月。
このエントリーは読む必要なし。

ここ最近微妙にいそがしい。
よって、日々時間が経つのは早くあっという間の1ヶ月。
と思いきや、実は泥沼のようなぬかるみの上を日々歩いているような状態につき、物凄く長い一月だったこともまた事実。

てかね、充実と多忙って違うものなのかな。
仮に多忙と充実が違うものだとしたら、そこを履き違えている人だらけだよ。
見渡す限り。
実際に僕もそうだ。
日々何かに追われて生活している。
何かの締め切りだったり、人生の締め切りだったり、自分の心の中で勝手に設定した締め切りだったり。
その締め切りが次から次へとやってくる。
当然いそがしくなる。
よって彼彼女は無事充実を味わえるって寸法だ。

けど、大抵の忙しさってのは能動的というよか受動的。
これやれあれやれの見えないプレッシャーからくるものだ。
これは充実かな?
いや違うね。
ノルウェーの森」の言葉を使わせてもらうならそれは労働に過ぎないね。
労働はただの多忙にすぎなく充実とはいわない。
充実と言いたい方は勝手にいってくれ。

ここで労働の反対語は努力となっている。
そこには能動という意味が含まれる。
要は努力が充実に直結しているのではなかろうか。

で、僕は単なる忙しさか充実かわからん日々にいる。
自ら進んでそこにいる。
暇になるのが怖い。
ここ数年ずっとあくせく生活してきた。
それに慣れ、暇でいることができなくなった。

以上。