斜陽

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言わずと知れた太宰治の小説。
最近「斜陽」という言葉を使うことが何故か多いのだが、小説は読んだ事がなかった。
ブックオフで100円で売っていたため、即刻購入する。

簡単な筋を言うと、貴族がドンドン落ちぶれていき、破滅する話。母は結核で死に、弟は自殺。主人公である姉は、発狂寸前というありさま。痛々しくて目も当てられない。

「姉さん。僕は貴族です。」という弟の遺書の最後の言葉に鳥肌が立った。平民が貴族になるのが難しいように、貴族が平民になるのも難しい。平民になるために無理をしてきた弟。貴族にも戻れなければ平民にもなれない居場所のなさ。家は地獄。戦地から命からがら帰ってきてからこういう。
「なんにも、いいことがねえじゃねえか。僕達には、なんにもいいことがねえじゃねえか。」
彼は何を夢見て日本に帰ってきたのだろうと思うと、胸がつまる。

結局、人は身の丈以上にはなれないんだ。
これは僕の経験でも言えることなのだが、高校から慶應とかいう学校に言っている。世間では「おぼっちゃまくん」達が集う学校だと思われているらしい。正直、僕には馴染まなかった。公立の方がずっと、スーッと入ってくる。
今でも、僕は慶應にいる気がイマイチしない。変な場所にあるキャンパスに通っているということもあるが、本当に違和感の固まりである。
「中山君って大学(もしくは高校)どこなの?」
「…慶應とかいうところです…(恥)」
みたいになってしまう。

最後の終わり方は鋭利だ。
「M・Cマイコメディアン」
貴族の姉が平民である好きな人に唾を吐きかけるように手紙で綴る。子供っぽさが残る僕にとっては、こんなセリフにかっこよさを感じてしまう。まさにP・U・N・K。

古い日本の小説は、翻訳してある海外の本よりも読みにくいイメージがあったのだが、実に読みやすかった。
こういう小説って、学生時代に読むからいいのかななんて思ったり。社会人になって「斜陽」とは、何モラトリアムしているんだって話になりそうだ。