お墓参り

僕の祖父と祖母は、中学2年の時に亡くなった。
それからすぐに受験戦争に放りこまれ、終わると同時に部活漬けとなり、その後何を血迷ったか辺境の地に存在する学部へと進学した。お墓参りの日には都合がつかず、死後一度も訪れたことはなかった。
今更はじめて参ってみた。



JR中央線、JR青梅線、JR五日市線と乗り継いで、武蔵増戸駅に着いた。新宿辺りの桜の賑わいと対して、こちらの桜はまだ咲いていない。駅前からいきなり続く民家。


小学生の時、オカルトに興味があった。UFOとかノストラダムスとか心霊写真とか。
けれどもその興味は、神や仏の存在まで踏み込むことはなかった。日曜に行く教会も、ぼーっと話を聞く場でしかなかったような気がする。小学校の授業とも似ている。日曜の教会という習慣も、中学以降完全に遠のいた。
だから僕は、キリスト教の教義を今でも正直よくわかっていない。そこが内面化されていないだけに、石を投げたら当たる様な無宗教の方々と何も変わらないんじゃないかと思っていた。


道はどこかと探しながら、やっとこさ墓に着く。見慣れた仏教式の墓とは違い、背の低い平たい横長の墓石。作法が良くわからないので掃除等々全て母に任せ、傍らでボーっと眺める。終えると、墓の前で手を合わせお祈りをする。


神か仏かどうかわからないが、何者かによって僕が守られているんじゃないかって最近思っている。それを旅行の時に最も感じた。パキスタン地震もインドのテロも、僕には何一つ被害がなく、スルりと抜けた。パルプフィクションではないが、強い存在を感じざるを得なかった。ただ一つの相違点は、キリスト教に目覚めなかったことだが。そのお陰で、南米に行ったときも、自ら進んで教会を見物することはなかった。


墓石の前で手を合わせながら、一応お礼を言っておいた。
帰り道、5分程度並んでから入った有名らしいラーメン屋は、量が多く、僕には油っぽかった。