14歳・M・舞城王太郎の小説


日本ってもうどうしようも無いほどぶっ壊れてしまっているのではないかと思って、絶望的な気持ちになったときのことについて。
暴力はなくならない。


前述の通り、秋の夜長を先取りしてまどろみながら読書をしていた。舞城王太郎の小説に興味深い記述があった。一語一句記憶していないが以下の様な内容だった。
「AがBから受けた暴力はAへ返される場合もあるがCへと返される場合もある。」
Aから受けた暴力は必ずしも同じ相手へ同じ威力で、同時に返されるわけではない。時間をまたぎ、別の相手へ、それ以上の威力を持って返されるという寸法だ。だからDVとかの原因は、幼少時に受けた暴力が引き金となって、我が子へと矛先を向けるわけである。


14歳という映画を観た。所謂年頃の少年少女の話である。
ピアノ教師が生徒に向かって、ピアノ教師が最も傷ついた言葉を言い放つ。その生徒は、他の生徒に向かって最も傷つくであろう言葉を言い放つ。
ある生徒は親から自由にならない鬱屈した日常から、担任の教師を登校拒否へと追い込む。
ぐちゃぐちゃな中学校。おわっている教育の現場。暴力の無限ループへと陥っていた。
この環境が仮に真だとすると、日本に未来はないと思った。昔からこの状態だとすると、これが自然なのか。


Mという映画を観た。売春を続ける主婦の話である。
一億総他人のような郊外の住宅地に住み、社会との繋がりが希薄な主婦が、自分の存在価値を確かめるべく売春へと身を沈める。気付きながら何も手を打てない夫。ラストシーンでは遠景から映す幸せそうな一般的家庭。しかしその幸せそうな家庭すら崩壊しているとは、何と残酷なことだろうか。
中学校のみならず、家庭も絶望的状況であった。


というような感じで、ショックでした。物語の世界が全てではないけれど。